風邪が悪化してしまって、咳をするたびに肺がいたい。

熱もなく吐き気もないんだが、

鼻の中や耳の中や喉の奥があつい感じがするのは体温計じゃ掬い取れない熱があるのだろうか?

とにかく、これか人前で仕事できないってんで、仕事やめてきた。

風邪は口実だったけど、でも風邪はマジできつい。

俺はオーストラリアで体力的にも体格的にも強化されて、精神的にも強くなって帰ってきたつもりだったけど、

オーストラリアでやっていたようにはうまくいかない日本の強さ。

出発前の俺のレベルが1で、帰ってきた直後の俺のレベルが99なら、

日本はLv188。

「海外ではうまくいってた」は通用しない。

俺の今いる場所はそんな夢も希望も自信も失わせるような場所なのか?

認めたくない。

こんなんじゃあヒーローになれない。

自分が最高に熱くなれるものを見つけ出せない。

強い意志がほしい。

あの頃、オーストラリアへ行きたくて仕方なかった頃のような強い意志。

強い夢。

何をどうすれば、何を得られるのか。



いつも考えるのだけど、俺の夢はあの子のように「●●航空のCAになる!」やあいつのように「親父さんの職を継いで造園王に俺はなる!」やあの子のように「海外に行ってアパレルのバイヤーになる!」じゃなくて、

俺の場合は、「オーストラリアに行く!」だった。
確かに俺は古い夢をひとつ叶えた。
けど今は何も思いつかない。
強いていえば、「またオーストラリアへ行く!ニュージーランドに行く!南アフリカへ行く!」
いつもどこかにここではないどこかへ・・・が夢だった。
ただの願望でしかない。
そこへ行って何をするかなんて行ってから考えてて、無計画だった。
でもそれでもうまくいくのがオーストラリアだった。
すべてが上手くいったわけでもないが、大方うまくいってただろう。
結局そのどこでもない中途半端なところで満足してしまって、

「これなら日本でもうまくいく」なんて根拠のない自信振りまいて帰ってきたけど、
俺を見る目が変わったのは俺の知ってるコミュニティの中でだけだ。
当たり前すぎる結末。

ここから前に進むには?


考えていたこともいっぱいあったけど、
うまくいかない。

オーストラリアじゃもっとシンプルで簡単だったのに、
日本じゃうまく生きていけない。

何よりさみしい。


なんでそんなに働かないといけないのだろう?

働くのは大事だし、好きな仕事が出来れば文句はない。

でも、
終わりなく問われ続ける命題の多さ、
尽きない天井、
仕事に出来なきゃ趣味も遊びと一緒に捉えられてしまう現実。



俺は、この「これはこうじゃなくてはいけない」っていうせまい考え方が嫌いだ。
世界に、日本以外の国やナショナリティ、人種、言語、文化、歴史、それぞれの成り立ちが存在するように、
この国の中でも、人間の生き方はひとつじゃない。
大学出たら就職しないといけないとか、就職したら次は結婚だとか、家だとか車だとか親孝行だとか、
もちろんその全ての慣習がおかしいといっているわけではないんだけど、
日本じゃたいていの人は右利きだから箸は右手で持たないといけないとか、
そういうの多い。

そういうのおしつけ。
人間らしくない。

洗脳と言ってもいい。
刷り込み教育みたい。

そういうのって人間の本当の感じる力とか、想像力とか、マイノリティを蔑ろにしてる。

違うことなんか怖くない。

違うことを考えられるから人はもっと賢くなれるし、進化できる。

同化や単一化や記号化されると、上も下もない、ただ果てのない横一線の風景しかない。


そんなのつまらない。


果てしないホライズンを見通すのもいいけど、ちょっと突き出た岩山や森や湖や自然のままの風景の方が楽しい。


人もそうだと思う。


俺はAKBもSKEもNBAもみんな同じ顔に見える。

あーいうのが流行ってること自体が滑稽だけど、

あれは一種の同化への洗脳に近い。

確かにみんなかわいいけど、

だから?って感じ。


特に突出するものがないなぁ。

突出したらしたらで、出る杭どころか蜂の巣にされるけどw

みんな同じでなければいけないなんて、

そんな未来でいいなら、クローン生み出せばいいし、

ロボットでも機械でもコンピュータでもいいってことになる。

そんなのつまらなすぎる。

感情がない。


でも、現実に感情表現を制限された所為で感情を表に出せなくなった若者もいる。


日本は確かに安全なのかも知れない。

世界一安全な国という人もいる。

ただ安全安全と言っていることが危険な罠だ。

安全の中の、まるで水槽の中だけで育てられた金魚のような人がいるとしたら、

そいつは外の世界を知らずに生きていく。

自然界の過酷さも素晴らしさも知らずに生きていく。

その方が危険色濃厚だ。



もっと自由でいいんだと、

そういう社会でもいいんじゃないかと思うし、

もっと自由でいいんだと、

そういう教育にしていきたいと思う。

俺たち日本人が北朝鮮の悪行をテレビで目の当たりにして思うことは、

すべてが同一化して支配された国だということだけど、

それは今の日本にも言えることだろう。

例えば、人前で弱音をはいたり、涙を流してはいけないとか、

そんなことを子供たちに強いていく社会なら、もっと世界の広さを知る必要がある。

違ってもいい。

違うものや違う人がまとまっていくことで作られる彩の方がずっと綺麗なアートになる。

英語ではHe must be himというと、

意味は「彼は彼でなければならない」ではなく、






「彼らしい」 









という意味になるのです。


この言い方、わりと好きです。