今まで出会ったすべての人との出会い。


というと、格好つけすぎ?


今日は「忘れたくないこと」というテーマです。 



このテーマを見つけた時に、すぐさま思ったのがこれなんですが、



人と言うのは忘れていく生き物なんですね。

さっきもトイレでうんこしながら考えていた。
大学の先生って今まで勉強したことすべて覚えているものだろうか?と。
50代くらいの先生だった昔のことは忘れてるかもしれない。
大学の先生ってそんなに記憶力の天才的な人っていないだろうし、往々にして新しい研究をするのに夢中になっている人々だと思う。

なぜそんなことを思ったのかというと、
ぼくがこれからどうやったら大学教授に登り詰められるのか、という戯言を考えていたからで。

実際、大学教授がいくら給料もらってるのかなんてわからないんだけど、
うちの先生なんかを見てると結構もらってるはず。笑


実際、これからの世の中で自分と愛する人を養うだけの収入を生む職業に就くのは、IT関連とか先端技術じゃないときびしい。
でも俺はそっちにいく気はない。

さぁどうしましょう・・・っていう話はまた今度にして。


人は忘れていく生き物なんですよね。


けど、実際は忘れてない。
一度出会った人のことは必ず覚えているものなんだ!
必要頻度の少ない順から記憶の奥深くに追いやられていくというだけで。
それはそれで寂しいけれど。

でも、大切な事は、出会いも別れもあるけれど、それが人間の運命の摂理ということです。
あの別離も、新しい出会いの布石なんだ。

例えば、僕が恋をした人がいるとする。
(実際にいるけれど)
その人と僕とは、何かの運命の作用で出会った。
熱烈な恋をした時、誰もが
「もっと早く出会っていれば・・・」と思うはず。
けれど、今よりも前に出会っていたとしても、今と同じ気持ちだっただろうか?

今出会った人とは、この瞬間に、出会うべくして出会った運命だったのだ。
そして、その瞬間に気持ちが触れ合うことによって、僕が恋に落ちた。

「恋はするものではない、落ちるものだ」という言葉がある。
まさにその通りだ、
まったくの不意打ちだった。
アクシデントと言ってもいい。
けれどこれは必然なのだ。
「おお、ロミオ、なぜあーたはロミオなの??」



さて、僕は4月にオーストラリア、
あの子は6月にフィリピン、そしてカナダに行ってしまう。
相当な決心か、心のつながりがないと、普通の男女なら友達以上の関係を続けられないだろう。
そこをどうするか。
このまま思いを秘めたまま、何も告げずに過ごすのか。
それとも気持ちだけは伝えておくか。

僕は思う。
何も告げなければ、彼女と僕の運命のレールは交わることなく、平行線なのではないかと。

そして、いつしか忘れられる。
忘れるというのは、近い将来、僕らは現在のように容易くはつながれないことと意味している。
ニュアンス的には分かるだろうか。

だから気持ちを伝えれば、よくもわるくも変化がある。
もしかしたらきびしい結果を得ることになるかもしれない。
その時はその時だ。
でももし良い方向に転がれば、意識は変わるかな?
未来は変わるかな?
運命は変わるだろうか?

いくら自分が気持ちを保っていられたとしても、
相手もそうじゃなかったらつらいだけだ。
それならきっぱりケリがついた方がいい。
片想いを長くしていればいいみたいに美化して自己満足してるやつが珠にいるけど、
結局勝つのは、自らを律して行動した人なんだ。
勇気を持って、恐れを省みず突き進んだ人だけだ。
恋にしろ、夢にしろ、仕事にしろ。

だから俺は忘れられるよりも、媚びずに突き進む。