彼女とLINEで喧嘩した日の夜に電話を掛けると、
そんな風に言われた。
こういうセリフを言われたのは実はこれが初めてではない。笑
10年くらい前に20代前半に2年ほど付き合っていた元カノたち、
その二人くらいにも同じような事を言われた事がある。
もはや勲章か。
しかし、こんな血も涙もない事を言っているような俺からしても、
そんなセリフは無礼千万なのである。
こちらから言わせてもらえば、
元々持ってない自信を失くすとはどういう事なのかと思って仕方ないのだ。
もはやこういう考え方をしてしまう辺り、俺は鬼のような対人精神を持っているので、
こう勘ぐってしまう。
自信ってそもそも他人の言動に左右されて、失くしたり湧きあがったりするものなのだろうか?
俺は違うと思うのだが。
「あなたといると自信失くす」なんて、
そんなの自信のない奴が言うセリフだ。
自分が元々自信ないのに、それをあたかも他人の所為で喪失したみたいな言い方をする。
そもそも、他人に揺るがされる自信なんて自信じゃないのだよ。
彼女らのそれは、単なる承認欲求だとか自己顕示欲というものなのではなかろうか。
はたまた妬みというものだろうか。
「なぜそんなに自信があるのか?」と問われたこともあったけど、
俺は自信があるなんて思って生きてるわけではない。
自信がないとも思ってないけど、
そんな事をいちいち考えて悩んで立ち止まっている暇がないくらい、
やりたいことがあるんだ。
寧ろ、彼女らのように、
「私は自信がない!」と自信を持って言えるその自信はどこからやってきていて、
なぜ、ポジティヴな方向に影響してくれないのだろうか?
ネガティヴな発想には逆にアグレッシブ過ぎるくらいに積極的で、
ポジティヴな思考にはネガティヴすぎるくらいアクティヴで、
非常に面白い。
ただ、自分の自信のなさを他人を利用して陥れるような発言はしてはいけないと思う。
本当に自信のある人、もしくはそのように見える人、堂々としている人というのは、
俺の勝手な解釈だが、おそらく、俺と同じで、
今の自分が好きなのもあるだろうけど、
今の自分のやるべきことややりたい事に対して、真剣に向き合っていて、
悩む時間の中で負の連鎖に捉われるくらいなら行動したり、勉強したり、
ひたむきに向き合ってる人なのではないかと思う。
そんな風に言うと、自信のない人達も「ひたむきにやっている」と反論を受けてしまうだろうけど、
敢えて言えば、
ひたむきさが違うのだよ
それは物差しでは測れない概念的なものではあるけれども、
でも、俺が日本にいても、海外にいても見てきた人々の中で、
やはり生き生きと生きている人たちというのは、
輝いて見える。
それは自分のやりたい事に向き合い、行きたい場所へ向かっており、
自分自身の責任を背負い、それが夢であろうと夢で終わろうと、
そんな後先を考えずに突き進んでいく。
そんな人たちばかりだったように思う。
そんな人たちはやはり輝いて見え、楽しそうに生き生きとしていて、
それはもう自信満々のように堂々と見えるものだった。
話は少し変わるのだが、今日は『ボヘミアン・ラプソディー』(2回目)を見てきた。
母が上映終了前にもう一度見に行きたいと言うので付き添ったのだが、
やっぱり、すごくいい映画だった!!
自分もいまだにバンドをやっていて、
いまだに思うのは、クィーンを結成して、アルバル作りの『キラークィーン』のレコーディングシーン色々なアイディアを試している時のシーンが、本当に音楽を楽しんでいるなーと思った!
そういう時間が過去に自分にもあった。
そして、昨日新年一回目のバンドのスタジオ練習でも、ベースが持ってきた新曲のアイディアをアドリブで3人で固める作業をしていた中で、
いいアイディアが湧きあがってきて、それを共有しあって形が見えてくる瞬間が訪れた時、
あの”レコーディングシーン”の躍動感が非常に照り合わされて、感激した。
そして、クライマックスのライヴ・エイドの演奏シーン!!
その時のハツラツとした表情や、感極まったエモーショナルな躍動感、
その表情こそが、”自信がある”という表情なのだと思った。
俺たちが何か事を成すべくして、想像し推し進める過程で、
絶対にやってくるものがある。
それは”夢中になる”ということ。
夢中になっている瞬間は、周りの事や人や、周囲からの干渉や批難さえも聞こえない。
そんなものに見向きもしない。
評価を恐れない。
そんな状態をまるで自信たっぷりになっているかのように見えるのではないかと思う。
なぜなら夢中になってる時が一番楽しいからだ。
そして、その状態が仮に、本当に自信を持っているように周囲から見られるとするならば、
そういう人たちは夢中になっている”今”という時間の過ごし方が有意義で、今というものを楽しんでいるからこそ、そう見えるのだと思う。
だからこそ、今を楽しめていない人からは妬まれる。
例えば、俺が今の強く揺るがない精神状態をどうやって手にしたのかと考えてみれば、
人に誇るほど優れた才能や富も名声もないが、
まぁ、人よりもこんなだって事があるとすれば、
人よりも面白い人生経験を積んでいるという自信はある。
それは、海外での就学や就労や生活の経験もあれば、人とは違う職種での業務経験もある。
それらは、豊富な給料を生産し得るほどのものではないが、
それでも、人前で話せば、笑わせられる。
人生なんて、そんなもんだよ。
この格差社会の中で、高収入やいい条件の家に住んだり、いい女と付き合って結婚出来たり、そういったものにはつながらなくても、
俺の人生の経験は、いい笑い話になる!
そのくらいおもしろいと思う!
ってことは俺もおもしろい!ってことだし!!
そういう風にポジティブに推し進めてきたし、
それはただただ、やりたいことを自己責任を踏まえた上で実行してきたからで、
ま、なんというか、
自信なんてものは輝かしい成績や業績なんかよりも
自分の好きな事に夢中になってきた!
って事の方が強い要因になると思うんだ。
笑える話が出来るってだけで魅力的だし、
夢中になれる事は自分にしかわからない。
だからこそ、周囲や他人に左右されてしまう事が非常に時間の無駄のように思う。
だからこそ、
「あなたといると自信を失くす」なんて言うやつは、末期的に腐ってるし、
そんな風に他人を妬んでる暇あったら、
好きな事にもっと夢中になれ!って思うし、
ないなら探せよ!っとも思う。
人に与えられる事を手にとっても自分のセンスで自分の責任で選んだものとは違うし、
積極的にもなれない。
むしろ、いつでも投げ出せるし、投げ出しても自分の決心ではないから逃げられる。
けど、そんなのはクソだし、つまんない。
俺は今になっても将来やりたい事のために、今年はいろいろ勉強したいと思って、そのことについて調べたり、必要なものを集めたりしている。
それもすべて、この先夢中になる事をする為の下準備だし、
もはやその下準備に夢中になってる。
だから、そんな俺の事を妬んで足を引っ張ってくるようなやつにかまってる暇はない。
男とか恋愛とか結婚とかに依存して縋り付くような人って結局、
自分で自分の好きな事をやる自信がないんだと思う。
そんな人は結局、魅力的には見えないんだ。
いくら泣かれても、
同情のしようがない
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