9/5 台風20....何号?
→普段仕事してる羊ヶ丘通の街路樹の半数がぶっ倒れる。
9/6 北海道胆振中東部地震、全土的にも停電。
→母と行動してたら、あまりにも危機感のなさ過ぎる言動に、「母ちゃんと行動してたら、俺死ぬ」と姉に連絡。
眠らない街すすきのが暗闇に包まれた。
星が綺麗だったって?そんな余裕なかったよ。
でも真っ暗な街は楽しかった。

9/7 未だ停電の中仕事。
9/8 やっと我が家に電気が復旧する。

9/14 早朝、親友Kが車で事故る。
→しかし、私はその事故がうちの近くで起きた事も、事故があった事すら知らないでいた。

9/16 朝、他の友人Hから親友Kが事故で意識不明の重体であると知らせが入り、他の親しい友人たちと病院へ駆けつける。
→Kのお母様から泣きながら、「葬儀には来てね」と言われる。まだ本人に目通りしていないのに、衝撃の一言に混乱。
その直後、ICU内でKと対面。
対面というのだろうか、Kはベッドの上に寝たまま起きないが、機械によって息はしていた。
脳死状態という.....。

その日の夜、前々から予定していたライジングサンテント村の道民参加者によるオータムフェストの会を幹事である俺が行かないという事に、二次会から行ったけど。
それでもKの事実を話せる人がその中にはいなかった。
脳死状態とは言え、まだ生きているKが死に行く事を知って、そして、その最後の姿を見るのを許されたのが、フットサルやサッカーで繋がった俺ら4人だった事。
まだ自分よりも6歳も若いKの突然の死に、涙も鼻水も嗚咽も止める事が出来なくて、身体も心も打ち拉がれた。

9/17 午前11:46 親友K死去。満25歳。
その頃俺は、前日に誰にも言えずにいた想いを抱え込んだまま朝の3時くらいまで一人酒を煽って、二日酔いの中、前々から予定していたラテンパーカッションのサークルの練習会に参加。
案の定、気持ち悪くて太鼓なんか叩いてられない。
その時、HからKが逝ったとの知らせのLINEを見る事が出来なかった。
練習が終わって、帰宅した頃にようやく、LINEが入ってる事に気付き、そして、Kの訃報を知った。
葬儀に参列する為に、近くの青山で白いワイシャツを購入した。
去年の11月に祖母が亡くなった時に買った礼服のブラックスーツは、なぜだかぶかぶかになっていた。
あれから、また筋トレやダイエットしてウェストがだいぶ余裕が出来るほど痩せたんだった。

9/18 前日に職場に友人が急死した事を知らせ、大事な大事な親友である事、葬儀には参列したいと伝えていたので、仕事を早上がりさせてもらい、通夜に参列。他のサッカー仲間も並び、ご両親にお悔やみを申し上げた。
通夜の後、一人、行きつけの居酒屋でノンアルコールと少しの肴。
あいつが生きてたら、こーゆーのが俺らのいつもの肴だったなー。
不思議と涙は出なかった。

9/19 告別式に出席。仕事は有給を取らせてくれた。
前日の通夜に参列した仲間もみんな仕事で、出席出来なかった。他の親しい友人や帯広のKの幼馴染や道外に就職した後輩などの多くの、Kとの出会いから繋がった人たちの想いを抱いて、棺の中のKと最後の対面を果たした。
不謹慎ながら、相変わらず、北村一輝に似てた。
綺麗な死に顔で、その頬が冷たいなんて事感じさせないようで、眠っているようだった。
お母様が最後まで棺から離れなくて、それは悲しいに違いない。
誰よりも。
誰よりも悲しいに違いない。
だってKは、彼の家の一人息子で、実家で母と暮らし、夜は祖母を迎えに行き、職場では別居はしてるが父と一緒に働き、休日の時間がある時は祖父の車の整備工場の手伝いをして、
本当に家族想いで、それと同時に友達想いだった。
お母様が、「よく家でみんなの話をしてたんだよ、Kがいなくなっても遊びに来てね」と言っていた。

一人っ子でわんぱくなくせに寂しがり屋で甘えん坊なKは、思い返してみれば、常に誰かと遊んでいて、人気者のイメージが強かったけど、
どんなに遊んでも必ず家に帰っていた。

俺が精神的に落ちてる時もすぐ「飲みに行こう!」と言ってくれた。
元カノに振られた時も、二人でワインとバケットで乾杯しながらゲオでくだらないB級映画を借りて一緒に見たっけ。

それとそれと......

Kとの出会いは、俺が一度目のオーストラリアワーホリから帰ってきて、謎のチャーチに謎に取り憑かれそうになってた時、たまたまチャーチで出会い、そして、程なくして二人で、飲みに行ったのをきっかけにお互いの好みや行動がシンクロしまくりで面白かったのが互いにハマり。
それから付き合ってる疑惑が出るほど2日に一回は遊んでた!
あいつと遊んでるうちに、多くの人と出会い、そして今も繋がっている。
11月にあいつの幼馴染の結婚式があって二人で来てほしいとお願いされてたんだ。

あいつに誘われて、サッカーやフットサルを始めて気付いたらシューズを買っていたり、ドリフトに連れて行ってもらったり、温泉に行ったり、いつかの花見では年甲斐もなくカラオケオールやったりビリヤードしたり、そして、一番の思い出は、みんなで行った海!蘭島!
あの夏は伝説だった!

俺らいつか二人で組んで仕事しよーとか、海外行こーとか、水曜どうでしょうみたいな事しよーとか、いくつも夢を語り合い、
お互いに相手を、「お前呼ばわり」する関係になった。
あいつに言われた言葉、
「お前の言葉には力がある」と言ってくれたのはかなり嬉しかった。
2年くらい前の誕生日にみんなであいつに贈った寄せ書きを枕元に飾っていたらしい。

そーだ、あいつとは一瞬バンドもやってた。
ドラム教えてたり、セッションしたり、
俺ら二人がチャーチから追放されても、
俺たちは、俺が神道でKは仏教だったけど、
キリストを二人で退けたくらいで、俺らはいつでも兄弟のようで、お互いに親友と呼び合う関係で、俺は心の底からあいつを信頼してた。
他の誰かよりもずっとあいつを信じていた。

あいつが彼女と別れた時に最初に飲みに行ったのもやっぱり俺で、
俺の一番の親友だと、俺の友達に紹介きた事もあった。

俺たちはずっと親友だ。

お前が俺より先に逝くなんて思いもしなかったけど、
そっちに行っても楽しくやってんだろ?
親より先に死んだら地獄行きらしいけど、
お前が地獄にいるなら、俺が死んだら俺も地獄行きにしてもらうよ!
俺にとっては、天国行きだろうと、お前がいなけりゃ地獄と一緒だし、お前も俺が行けば地獄でも天国に変えられるだろ?!笑

なんでお前が死ななきゃいけなかったのか、
分かんねぇけど、
それがお前の運命だったか?
運命は変えられるんだって言ってたよな?

だったらせめて、

せめて、

俺の運命を変えてくれよ

そこから見てて、

俺の将来有望の人生を明るく照らしてくれよ


そして、俺からもただひとつの願いがある。

俺ら、

生まれ変わっても親友になろうな。

出来れば、次は同い年がいいかな。

幼馴染がいいかな。

俺にも幼馴染見るけど、

今は疎遠だな。

久しぶりに連絡してみようかな。

ケータ、

お前がくれた出会いや繋がり、

お前がいなくなっても俺は繋ぎ続けていきたい。

途切れされるな。

ゆうきちゃんの結婚式、お前と二人でお祝いに行くはずだったけど、
俺一人ででも行ってお祝いしてくるよ!

今度アイリやヒロキが帰ってきたら、お線香上げに行くし、ヒロシたちともまたサッカーする。

タイキはどこ行ったかな?沖縄かな?
今月ミサキが帰ってくるから、思い出話聞いてもらう!

小林は今は大変かも知れないけど、あいつにも責任があるから、またそのうち、落ち着いたら事の真相を聞くよ。
大丈夫、
もう誰もあいつを責めないよ。


ケータ、お前を見ていて思ったよ。
俺はいつも遠くを目指していたけど、
お前は逆に近くや、足元を固める奴だった。
俺はそういった本質は正反対だったけど、俺ら互いに憧れてたんだろ?笑

俺はお前に、お前は俺に。
だから俺たち友達になれた、親友になれたんだ。

だからこそ、

これから俺は、お前との繋がりやお前のくれた繋がりを守っていきたい。
もちろん、自分自身の身近な存在も。
だから、いらなくなったものは切って行くことも必要だと思う。



もっとお前と遊びたかった。
これからって時にさ。

こんな悲しい事があるなんて、
人生は本当に残酷だけど、
俺はまだあと20年は生きるだろうし、

早くお前と遊びたくても、
まだまだセックスしたいし、結婚式して子供もほしい!
てか、子作りしたい!主に!

だから根比べだな。
俺の行くのが早いか、
お前が生まれ変わるのが早いか。

どっちにしたって、俺たちまた出会うだろうよ。