先週のことですが、父方の祖母が亡くなりました。

享年90歳。

敗血漿でした。

14日の朝に危篤の報せが来て、そのまま仕事を早退して病院へ急ぎました。

生命維持装置で呼吸してるのがやっとな状態なのに、

呼ばれた親族が病室にやってくると、

全員のことをちゃんと反応して分かってる様子で、

意識はしっかりしてた。

その日、東京の伯父叔母と従兄弟、仙台の伯父叔母も夕方にはかけつけ、

その日には厳しい状態が続きつつも、一命を取り留めていた。

僕はおばあちゃんの手をずっと握って、冷たくなるのを防いでいた。

おばあちゃんも時折握り返してくれた。

翌日また、朝から病院にいった。

朝は話も出来るくらいだったらしいけど、

容態は弱まっていた。

みんながおばあちゃんに「ありがとね」とお礼を言っているのを見ていると、

もう僕は涙も鼻水も嗚咽も止める事が出来なくなっていた。

午後、じいちゃんが仮眠のためにばあちゃんの病室から離れると、

体内の酸素を計る機械の数値が低下し始めた。

「このまま弱っていくんだ」と伯父さんがいった。

叔母さんが「最後にお義父さんに会わせてあげよう」と言って仮眠してたじいちゃんを呼びにいった。

僕は、酸素数値が下がり、呼吸が少なくなり、意識が遠のいていくおばあちゃんの肩に触れ、

「おじいちゃん今くるからがんばって」とおばあちゃんに呼びかけ続けた。

祖父ちゃんが病室に来た時、ばあちゃんは虫の息だったけど、

最後の最後までじいちゃんのことを見て、じいちゃんのことを分かっていた。

ばあちゃんの呼吸が止まった時、じいちゃんは今まで見た事もないくらい泣いていた。

というか、物心ついた時から厳しい印象しかなかったあのじいちゃんが、泣いているのを初めて見た。

父さんが「じいちゃんがあんなに母さん愛してたなんて初めて知った」というくらいだった。

その日のうちに、ばあちゃんは葬儀場に運ばれて、畳の上で生きてるみたいな穏やかな顔で寝ていた。

思えば、ばあちゃんが寝ているのを初めて見たような気がする。

いつも、ばあちゃんは家のことを全部済ませて、孫や息子たちが寝て、やっと最後に寝ていたから、

俺は、ばあちゃんが俺より早く寝たのを見たのは、それが最初で最後だった。

15年前に母方の祖父が亡くなってから、葬儀というものに出たことがないから
喪服を持ってなかった。
初めて喪服を買ったのが大好きなばあちゃんが死んだ日だなんて。

翌日、
その喪服を来て葬儀場へ。

家族葬だったから20名ほどの親戚と、親父の関係者が数人程度のこじんまりな葬儀だった。

仙台の従兄弟も東京の従兄弟もみんな集まったのは夕方のこと。

うちの父方の家は神道なので葬儀は神式で行った。

正午、本当なら室蘭でお世話になった刈田神社に来てほしかったけど、札幌まで来れないということで、

紹介してもらった豊平神社の神主さんが来てくれた。

法要した後、納棺する前に湯灌という儀式を行った。

葬儀屋の女性が親族の目の前で、丁寧にばあちゃんをシャンプーしたり身体を洗ってくれてるのを見た。

そして、親族の方も洗ってあげてくださいと言われ、祖父ちゃんや親父や伯父さんたちがばあちゃんの手や身体を洗った。

俺は、ばあちゃんの足を洗った。
ばあちゃんの足はすごくきれいで、でも冷たくて、
その時、親父が「俺、母さん洗ったの初めてだ」って言った。
親父が初めてなら、俺だって初めてだった。
ばあちゃんちのお風呂大好きだったけど、ばあちゃんを風呂に入れたことはなかった。

なんでこんなことも出来なかったんだろう。
せめて、温泉に連れていってあげるくらい出来ただろうに・・・。

ばあちゃんの足を洗っていると、また、涙が止まらなくなって、

一人離れて、止められない涙と鼻水と、耐え切れない嗚咽が出た。

すると、1歳半の甥っ子とねえちゃんが来て、「大丈夫」って言ってくれた。

ばあちゃんの6人いる孫の中で、ばあちゃんの長男である親父の子である俺とねえちゃんが

おそらく一番ばあちゃんにお世話になった孫だっただろう。

ばあちゃんの初孫のねえちゃん、ばあちゃんにとって初の男の孫である俺。

ばあちゃんが息を引き取る時、

本当に言われたわけではないけれど、

心の中でばあちゃんに「しっかりするんだよ」って言われた気がして、

喪主であるじいちゃん、施主である親父を支えられるよう務めようと思った。

時代劇の話じゃないけど、俺がこの家を継いで、守っていく嫡男だから。

ばあちゃんに安心してもらえるようにならないとって思った。

ばあちゃんの足を洗って、多分、俺だけだった、孫の中では。

涙が納まって、ばあちゃんをお棺の中に入れた。

みんなが10円玉を入れた中、

俺はばあちゃんに書いた手紙を入れた。

ばあちゃんがなくなった日の夜、最後に伝えられなかったことを書いた。

安心して天国で見守っていてね。って。


そして夕方、お通夜が始まると、また涙が出そうになったけど、

隣に座った姉に抱えられてる甥っ子が、式の間ずっとおっぱいを飲んでいて、

その音で泣くのも耐えられた。

甥っ子がいたおかげでずっと泣いてなくて済んだ。

お通夜のあと、親戚で会食した。

ばあちゃんが好きだったオロナミンCをばあちゃんに飲ませてあげた。

会食の時、母方の伯父と叔母と話してて、その時も涙が止まらなかった。

隣にいた姉が「よっくん、おばあちゃん大好きだったから」って言うと、もうとまらなかった。

多分だけど、ばあちゃんが亡くなって一番泣いてたのは、じいちゃんと親父と俺のような気がした。

じいちゃんがばあちゃんの顔を何度も見にいって、

「こんないい母さんいなかったなぁ」と何度も何度も泣いていた。

そんなじいちゃんを見たのも初めてだった。


寝る前に親戚のおじさんと話をした。

そして、寝る前に、ばあちゃんにお酒を飲ませた。


翌日、告別式でばあちゃんの姿を見るのは最後になった。

お花が好きだったから、ばあちゃんの棺にはいっぱいお花を入れてあげた。

そして、昨日姉ちゃんが俺がばあちゃんに書いた手紙を入れたのを見てたので、
姉ちゃんもばあちゃんに手紙を書いて棺に入れてあげていた。

そしたら、他の従兄弟にも手紙書いてもらったらいいと思って、従兄弟に呼びかけた。
孫みんなの手紙が俺の手紙と一緒にばあちゃんの左胸の上に入れられた。

きっとばあちゃんも天国でみんなの手紙読んでくれて、喜んでると思う。

告別式が終わって、ばあちゃんは霊柩車に載せられた。
俺たちはその後を火葬場にむかうバスに乗った。

春もその火葬場に仕事で草刈に来た。
ばあちゃんの棺が釜に入るのを見届けて、
待ち時間の間、また涙が出てきた。
もう、ばあちゃんの姿を見られないと思ったら・・・。

待ち時間の間、久しぶりにあった従兄弟と話した。
彼は俺と同い年だけど今年結婚したばかりだった。

そういえば、ばあちゃんは「よっくんのお嫁さん見るまで死ねない」ってよく言ってたよなぁ。
でも、見せてあげられなかった。

ばあちゃんが骨になるのなんか見たくなかったけど、避けられない事実だった。
でも、最後までやりきらないと、ばあちゃんに安心してもらえないから、
積極的にお骨を納めた。


そして、葬儀場に戻って、法要を行った。
みんな晴れ渡るような顔をしていた。
その日は予報では雪だったのに、夜まであたたかく、日差しが降り注いだ日だった。

棺から出てきた10円玉を入れたお守りを貰った。
今は財布に入れて、いつも持ち歩いてる。

帰り、じいちゃんをうちの近くの老人ホームに送ってった。
そこで伯父叔母たちと解散したんだけど、
叔母さんたちに、「よっくん立派になったね」「おばあちゃん喜んでるよ」と言われた。


このおばあちゃんが俺にとっては、幼少期、共働きの両親がいない間、
一人で室蘭から札幌に来て面倒をみてくれた人で、

母親と同等以上にお世話になった人でした。
そして、僕の名前の名付け親でもある方で、
僕は多分、一番愛情を注いでもらってたと思ってます。

葬儀で紹介されたおばあちゃんの人生は壮絶だった。

おばあちゃんは7人兄弟の長女で、15歳の時にお母さんが病死。
以来、6人の弟や妹の母親代わりとして家族をまとめ、
23歳の時にじいちゃんと結婚して、
親父を始めとする3人の息子を育て、
3人とも国立大学に入れて、3人とも一流の企業に就職した。

おばあちゃんの葬儀中は、
もう20年以上前になるけど小学校低学年くらいの時に、
家族・従兄弟・親戚集まって室蘭の家に帰省したときのことを思い出すような時間だった。

葬儀が終わった日にうちでいつものように夕飯を食べていると、
姉ちゃんが甥っ子にご飯を食べさせている姿を見て、
急に涙が出た。
甥っ子に靴をはかせた時にも思った。

おばあちゃんはきっと家族が大好きで、家族を一番大事にしている人だった。
昔から弟や妹や、息子たちや孫が成長していくのが何よりも嬉しいことだったに違いない。
そう思うと、自分も早くそういう家庭を築きたいと思った。

悲しかったけど、胸にぽっと、
やさしいあたたかいものが灯ったような気がした。


落ち着いたら、祖父ちゃんと親父を温泉にでも連れていきたいと思ってる。

見守っててね、おばあちゃん。